夏の友

宿題

平成30年12月31日 はれ《年末感》

年末感がないまま、今日を迎えてしまった。今日は自分の誕生日であり、もう26歳になってしまった。ありがとうございますありがとうございます。

今年初めて、クリスマスから大晦日って短いよなとしみじみ思った。クリスマスが終わって2週間ぐらい空くとちょうどいいのかもしれない。感慨に浸る余裕もなく年末のあれこれを済まして実家に帰ってきた。今年は手伝いを積極的にやっている。気持ちに余裕がある現れか。

「年末感」という言葉の意味を考えてみると、主観に依るところしかない。にも係らず、今日Twitterで検索をかけたら割と年末感の欠如を謳う人がやっぱりある程度いたため、割と共感してしまっている。その人たちと何を共感しているのか、謎である。

昨日のNHKの番組で、北海道で本当に自然とともに生活している家族を特集していた。電気は最低限、子どもたちは土や草木と共に育っている様子だった。斜に見る人間としては、子どもたちは現代社会の常識をどうやって身につけるのかとても心配したのだが、それは外野が云々言うことではない。親の責任でやっているのだから、親が文句垂れず責任をとってくれれば良い。

……ともかく、この子たちは季節感に優れているのだろうと思ったりした。あれ、でも、自然界に無いカレンダーと見比べていないから僕の言う年末感とは違うのか。真に自然の中で、俗世から離れた生活をしていると、年末という事すら把握できないか。等と思ったりしている。年末らしさ皆無だなあ。


今年は担任業務から外れて脇役に徹した一年だった。去年の今頃は、三者懇談が終わったことにひどく安心していた。それから比べれば、まったく大したことのない一年だ。来年への怖さすらある。

それから、人との出会いに恵まれた。結婚の見込みはないが。人と接するノウハウが少しずつ貯まってきたのかも。誰かと同じ空間や時間、事柄を共有するのはとても幸せなんだなと心から感じた。人という財産を大切にしよう。

来年への抱負。ジムの習慣と日常の記録をしっかり付ける。他もよくばりすぎないように、ぼちぼちやろう。


平成30年もありがとうございました。また来年も、あるいは来年こそ、宜しくお願いします。

12月2日(日)はれ

実家に帰ってきた目的である.

・服を整理すること ・スタッドレスタイヤに替えること ・髪を切ること

ぜんぶつつがなく終わった(完).

時間の作り方

12月に入ってから,ちょっと意識したことがある.時間は有限だということだ(キリリリッ

……いや真面目に.無駄にグダグダしている時間さえ削れば,多少途中でもたついたとしても,後でグダグダする時間がちゃんと得られるはずだということにやーっと気がついた.昨日の時間浪費を大いに反省した結果である.うだうだしている時間をカットすることで,上の3つをテキパキこなすことができた.自分の中では割と凄いことなのである.あるある.

勝負は明日の朝だと思っている.明日の朝から有効活用できるようになったら,ちゃんと考えている証拠だと思うが,さてさて.

12月1日(土)はれ

ブラック体質

昨日,珍しく残業が1時間未満で終わったので勇気を持って帰った.……とは言いながらも,本当は2時間休みをとって帰るつもりだったのだ.予定では「仕事に飽きたらすぐに帰る」つもりで申請を出し,提出物やらテストやらを片付けていた. それがどうだ.実際に帰ったのは定時過ぎて40分後だし,なんだったら帰ってから何をしてよいか分からなくなってぼーーーーーーーっとする他なかった.部屋の掃除とか,ジムとか,早めに寝るとか,やることはたくさんあったのだ.なのに,そういうことが全部すっ飛んで6時間ほどダラダラして酒を飲んで寝た.なんたること.

翌朝の今朝もそれをしっかりと引きずり,朝ジムに行ってから洗濯をし,部屋を片付けてから昼過ぎに実家に行くつもりだったのだが,ジムには行かずに14時過ぎに二度寝から目を覚まし,急いで洗濯掃除をして着いたのは18時過ぎである.はぁ.

普段は20時過ぎに溜息を吐きながら帰宅して,なんとなく自炊したりコンビニに頼ったりする生活である.昨日は,わざとネガティブな言い方をすると,そのリズムが崩れたわけである.だから困惑して何もできなかったといえばそれっぽいが,それほどに残業体質が体に染み付いているということでもある,はず.実家に車を走らせながら,そのことがショックでならなかった.

おべんきょ

久しぶりに代数曲線論を開いた.4.2節の複素トーラスがRiemann面であること,Weierstrassのペー関数の手前まで行った.具体的なRiemann面に触れなければと思いながら.

断捨離

という言葉は自分に浸透しないと思っていたが,今浸透しつつある感じがする.というのも,今回実家に帰る目的の一つとして夏服の整理があるからだ.狭い衣装ケースを整理して,物干し竿にかかりっぱなしの服を何とかして入れることでこたつを導入しようかという試みだ.……とにかく,物が多すぎるのが問題なのである.それを以下にごまかすかが大切なのだ.早く捨てなければと少し焦っている.

11月18日(日)はれ

月イチになりつつある.いかん.

今日は何をしていたかというと,今使っているiPhoneの名義変更だ.これまでずっと母親名義だったものを自分のものに変えた.今使っているiPhoneは5S,大学4年の夏に契約したやつだ.その時点ではまだ就職内定ではなかったので,「自分で稼ぐようになったら変えよう」と決めておいてそのまま4年が経ってしまった計算になる.そろそろXRに変えたいなと思い始めたので,あわよくば機種変更まで頼むつもりだった.

物持ちがいい人間とよく言われる.というより,実際そうだ.同級生がランドセルをボロボロにする中で僕一人傷が少ない状態で毎日使っていたり,服も私服制服限らず使い通していける.携帯電話も同じで,初代のガラケー(912SHだったか)は4年以上使ったけれど液晶も割れず未だに電源が入るし,今使っている5Sも画面にヒビ一つない.よく信じられないと言われるが,そうそう落っことすあなたの使い方のほうが分からんと言い返せる.すごいでしょ.

そんなわけで,4年ぶりに地元のやわらか銀行ショップ*1に行った.銀行よろしく整理券をとって,2時間待った.一人で2時間待つのはそれほど苦ではないが,契約者の母親を伴っている今回は話が別.流石に申し訳なかった.とはいえ,母親はiPhone8でゲームを2時間やり続けていた.インド人もびっくりだった.ゲームに触れてこなかった人間が触れ始めるとろくなことにならないと思っていたが,まさか身内でそうなるとは.むしろ自分のほうが手持ち無沙汰で,一応持ってきたアルティンガロア理論*2をちょっと眺めたりしていたが,ノートがなくて何も理解まで及ばなかった.

ケータイショップに若者は少ない.生気のない中高年以上ばかりだ.客は土気色の顔をした人ばかりで,店員はあくせく働いていて,一刻も早くこの店舗から出たかった.一緒にされたくないというか,何というか.途中,店員に「いい加減まだなんですか!? まさか,私を飛ばしているんじゃないでしょうね??!!?」とつっかかる婆さんがいて,世紀末だと思った.お前のその行為は時間泥棒以外の何物でもないぞ,と喧嘩を買いに行きたかったが,母親の手前やめた.幼児2人が別に待っていて店舗を駆け回っていてこれもまた世紀末感があったが,子どもたちは一定期間を過ぎると大人しく待っていた.婆さんのほうがよっぽどクソガキだなあと思う次第である.

契約の変更は来店2時間後につつがなく終わった.いや,つつがなくない.

暗証番号が●で出るけれどもその下に丸見え状態で出てきたりとか,セキュリティもクソもないものがそこかしこにある.今回のこれもかなりがっかりした.その程度のセキュリティ意識なら,初めから丸見えにしておくほうがいいと思うんだけど.

そんなわけで,たった2時間でどっと疲れたような,気分を害したような気持ちにさせてくれた.しばらくケータイショップには寄り付きたくない.

*1:ソフトなバンクのこと.

*2:実家に置いてきたのを忘れて行方不明状態だったもの.

10月23日(火)はれ《ニアリー》

ちょうど一月前,同級生の顔を見に行った.折しもその日は祭りで,かのドラマの影響もあって大盛況だった.一言で祭りを楽しむ,と言ってしまうと当たり前に聞こえるが,それまで自分は祭りを楽しんだことはなかった.小学生の頃から引っ込み思案で,自分が何をタネに友だちと遊んだかは覚えていない.いや覚えていないというか,魅力的ではない些末なことか,ゲームをやらせてくれとせびるくらいしかなかった.したがって祭りなどのイベントを楽しむだけの人脈もなく,屋台を眺めては通り過ぎるだけの人間だった.ちょうど僕を誘ってくれた主催の友達あたりはそこらへんの関係づくりが上手くて,彼の背中を眺めていたような記憶が多い.

朝,下宿先から車で地元まで向かった.主催の友達を拾い,先日子どもが生まれたという旧知の友達のアパートに向かった.奥さんとは初対面だったが,笑顔で迎え入れてもらった.とはいえ高校のつながりがあり,懐かしい話と近況報告に花が咲いた.約2ヶ月のご長男は主催の友には笑顔を向けていたが,僕には終ぞ笑いかけてくれなかった.人間性を見透かされているな.陰ながら幸せな噂に「このリア充どもが!!!!!!!!」と妬んでいた過去があるだけに,その残滓を敏感にキャッチされていたと内心苦笑いした.このおっさんはパパママの敵だぞ,と.

初め,顔を見せに行くのはとても不安だった.というのも,そういう幸せな姿を見て自分は妬みや嫌みを吐き出してしまうのではないかと思っていたからだ.率直に言えば,それら負の感情は遣り場無い思いをどうしようか迷った挙げ句の不本意なものである.「好きな子に意地悪する小学生」みたいな.大学を出てもそういう気持ちはあって,大人になりきれていなかった.もっと言えば,この日まで他人の幸せを率直に喜べるだけの気持ちはほとんど持ち合わせていなかったと思う.余談,高校時代はその負の感情をひねって表明することが「シニカルでかっこいい」と思っていた節があって,殊に扱いづらい人間と思われていたことだろう.

同級生三人で昼飯をとったあと,自分のいた取り巻きで人気者の友達の顔を見に行った.高校時代の写真を,画像処理し間違えて横に引き伸ばしてしまった感じに変わっていた.失礼ながら,それはそれでネタとして面白かった.一方,それがどこか嘘のような悪い冗談のような気がずっとあって,胃がもたれるような気持ち悪さがあった.スーパーのフードコートでひとしきりまた懐かしい話と近況報告をし,高校時代「人たらし」と言われていた彼を迎えた.彼の周りには常に誰か,どんなタイプの人間もいて,誰からも愛されていた.かと言って侮られることも憎まれることもなく,憧れの人物でもあった.職場からの応援要請で祭りの役が充てられていて,それほど長いこと話すことはできなかったが,まったく楽しかった.

日が落ちて明かりが灯り始めてから屋台を巡っていたところ,なんと示し合わせてもいなかったのに中学時代の同級生にばったり遭った.一人はそれこそ赤ちゃんを連れて,夫婦で来ていた.もう一人はビールを片手に陽気な顔をしていた.前段に述べたようなひねくれたこの僕の顔も覚えていてくれて,再会を喜んでもらえた.ごめん,僕にはずっと一人別の名前が浮かんでいましたごめんなさい.

そんなわけで,一日中幸せで幸せで仕方なかった.祭りを心から楽しんだ日だった.

     *    *    *

Twitterには「走馬灯のようだ」と書き残した.大好きな友人が元気にやっている姿を次々に間近に見て,率直に出てきた言葉である.

実家にも寄らず,その日のうちに帰ってアパートで一人酒を煽った.例のごとく,僕は一人酒に弱い.あっという間にくらくらして眠くなる.しかし不思議とその日は目が冴えていた.人と別れたあとで,心にぽっかり穴が空いた気持ちに頭まで浸かっていた.そう,まさしく不思議だったのだ.友達に腹の中を全部見せて,僻みや妬みゼロで接することができた自分が.今までそういう,ある意味鎧やトゲを纏っていないと不安で仕方なかった.弱かったのだ.

社会人になってから,というかここ二年間かな.自分が弱い存在であることを嫌というほど味わった.プライドも散々打ち砕いてもらった.体調が悪くなったり,今でいうと寝ている間に異様に肩が緊張して三週間近く変な痛みがあったりする.しかしその効用は割と大きかったようで,人との接し方が変わった.具体的に書くと読者を身構えさせるから書かないが*1,幾分か接しやすい人間になったと思う.弱い自分を素直に認めることで強くなったのかなあと,ぼんやり思う.

もうひとつ.友人に次々に会って,群像劇を映画館で見ているような気持ちになっていたなあと気づいた.生き方はさまざま,人間関係のつくりかたも,何が一番であるかも,違う.そんな大切な友達たちだ.自分自身,彼らと関わることで楽しい.その分,尚の事,彼らの邪魔はしたくない.彼らが主役ならば,自分は彼らが引き立つような脇役でありたい.助演男優賞をとりたい.具体的にどうこういう気持ちが一月経っても未だまとまっていないものの,そんなぼんやりとした気持ちを巡らせている.

*1:十分書いているような気もする.というか,このブログでは読者は意識しないつもりだったがやっぱり意識してしまう.

10月16日(火)はれ《夢から覚める日》

腰痛は回復の兆しなし.1週間超苛まれている肩の不具合は若干改善してきた.急におっさんと化している感じである.

この1ヶ月間のうちでふと気がついたことがある.それは,自称「小説読むの書くのが好き人間」であるのは誤りということだ.正確に言えば,「小説読んで書くのが好きな人間になりたかった人間」だったということだ.

小学5年の終わりの方だったか.漫画に憧れるも自分は絵が下手であることを自覚して,絵が駄目なら文字で勝負だと,ろくに本も読まずに小説書きを目指した時期がある.詳細を書くとめのまえがまっくらになるのでしない.過激な小説サイトを巡っていたこともあった.それが結果的に中二病の燃料になり,高校の部活のきっかけになった.もう十年程度前の話である.ポケモンの擬人化小説とか書いていたとか,思い出したくないことまでを克明に思い出しつつあるのでめのまえがチカチカしている.

唯一,評価が高かった作品がある.中途半端な出来の恋人アンドロイドがカレーを作る話だ.彼は洗濯物をキッチリ整理整頓はできるが,乱切りができなくて具材を角切りにする.恋とか愛とか,そういった感情が分からないけれど,主である女性にプログラム通り詫びることはできる.主の女性はそんな彼のことが好きだけれど,世間でアンドロイドと結婚する人間など理解されない.理解されない上に子どもを作ることもできない.でも,それは勘違いとかそんなものではない……とかいう話である.高2のとき,2009年に書いた作品だった.今は昔,もうありきたりな筋書きだなあと思う.

結局この作品も細かいところを詰めきれず,仕上がりとして納得はせずに妥協して寄稿した.にもかかわらず,面倒くさくて欠席した高校生のコンペに部誌を持っていったところ,ちょっとした評価を頂いたらしいし,同級生にもこの作品いいねと言ってもらえた.それがたった一つのきれいな思い出である.

他人にできないこと.他人に思いつかないこと.それらをできるのが自分のアイデンティティだと小さい頃から思っていた.小説もそうだと思っていた.でも,思っていただけだった.しばらくの間,それに気づこうとせずに蓋をしていたが,最近その蓋が急に外れて思い込んでいた自分に気付かされた.何故それがすんなりと受け入れられたかというと,就職して「仕事ができない自分」を真正面から受け入れざるを得なかったからだろう.ここ2年,揉まれて揉まれて手に入れた「まともな自分」が見た青春時代は,もはや妄想の中に浸っていたことしかない.形になって評価されて今残っているものといえば,数学に対する熱とわずかな知識だけかなあと思う.うつろだ.

今更,このブログに綴った文章を評価してもらおうとも思っていないが,やはり何か欲求が満たされているようで,文章を考えていると楽しい.こだわる割に推敲はしていないけれども.でも,この程度なら許してほしいなあ.また飽きるまで,自分に足かせをつけない範囲でしばらく書くことにしようなどと考えている.うつろな夢から覚めても,その夢が楽しかったことぐらいは思い出してもいいだろう.

10月15日(月)はれ《満身創痍またはお疲れモード》

ここ最近,授業以外のことで少しずつ忙しくなっている.教科指導が自分のウリだと意気込んでこの仕事に就いたつもりだったが,やはり他のことにも気を取られるようになってきた.管理職のことを思うと,だんだん他のことに浸食され,最後は教科指導をやらせてもらえなくなる.子どもが大人になるにつれて自由が奪われたり与えられたりするように,仕事の上でも同じ勢いで自由が無くなったり裁量が認められたりしている.

複雑である.ちょっと前までは「他の人たちに認められたい!」の一心で頑張っていることもあったが,いざ認められてみるとそれはそれでなんだかなあ,というところもある.名曲「ポケットにファンタジー」と同じだ.もう一度子どもに戻ってみたいという気持ちは,ある.

ところで,腰が痛い.背筋を伸ばすと若干良くなるが,基本重だるい感じが腰回りにまとわりついている.おまけに,床に就いて姿勢を変えても痛い.心当たりと言えば,体幹レーニング1分×2セットくらいしか思い当たらない.それか,今日1時間くらいずっとパイプ椅子に座っていたことか.

最近ストレスで急に肩が張って,今日は首筋と頭に来てしまって朝から緊張性頭痛に苛まれていた.カロナール300mgを1錠飲んでも午前中ずっと具合が悪かった.こんなのは久しぶりである.どうなってしまったというのか.口内炎も治らないし,いったいなんなんだ.