夏の友

宿題

10月16日(火)はれ《夢から覚める日》

腰痛は回復の兆しなし.1週間超苛まれている肩の不具合は若干改善してきた.急におっさんと化している感じである.

この1ヶ月間のうちでふと気がついたことがある.それは,自称「小説読むの書くのが好き人間」であるのは誤りということだ.正確に言えば,「小説読んで書くのが好きな人間になりたかった人間」だったということだ.

小学5年の終わりの方だったか.漫画に憧れるも自分は絵が下手であることを自覚して,絵が駄目なら文字で勝負だと,ろくに本も読まずに小説書きを目指した時期がある.詳細を書くとめのまえがまっくらになるのでしない.過激な小説サイトを巡っていたこともあった.それが結果的に中二病の燃料になり,高校の部活のきっかけになった.もう十年程度前の話である.ポケモンの擬人化小説とか書いていたとか,思い出したくないことまでを克明に思い出しつつあるのでめのまえがチカチカしている.

唯一,評価が高かった作品がある.中途半端な出来の恋人アンドロイドがカレーを作る話だ.彼は洗濯物をキッチリ整理整頓はできるが,乱切りができなくて具材を角切りにする.恋とか愛とか,そういった感情が分からないけれど,主である女性にプログラム通り詫びることはできる.主の女性はそんな彼のことが好きだけれど,世間でアンドロイドと結婚する人間など理解されない.理解されない上に子どもを作ることもできない.でも,それは勘違いとかそんなものではない……とかいう話である.高2のとき,2009年に書いた作品だった.今は昔,もうありきたりな筋書きだなあと思う.

結局この作品も細かいところを詰めきれず,仕上がりとして納得はせずに妥協して寄稿した.にもかかわらず,面倒くさくて欠席した高校生のコンペに部誌を持っていったところ,ちょっとした評価を頂いたらしいし,同級生にもこの作品いいねと言ってもらえた.それがたった一つのきれいな思い出である.

他人にできないこと.他人に思いつかないこと.それらをできるのが自分のアイデンティティだと小さい頃から思っていた.小説もそうだと思っていた.でも,思っていただけだった.しばらくの間,それに気づこうとせずに蓋をしていたが,最近その蓋が急に外れて思い込んでいた自分に気付かされた.何故それがすんなりと受け入れられたかというと,就職して「仕事ができない自分」を真正面から受け入れざるを得なかったからだろう.ここ2年,揉まれて揉まれて手に入れた「まともな自分」が見た青春時代は,もはや妄想の中に浸っていたことしかない.形になって評価されて今残っているものといえば,数学に対する熱とわずかな知識だけかなあと思う.うつろだ.

今更,このブログに綴った文章を評価してもらおうとも思っていないが,やはり何か欲求が満たされているようで,文章を考えていると楽しい.こだわる割に推敲はしていないけれども.でも,この程度なら許してほしいなあ.また飽きるまで,自分に足かせをつけない範囲でしばらく書くことにしようなどと考えている.うつろな夢から覚めても,その夢が楽しかったことぐらいは思い出してもいいだろう.