夏の友

宿題

7月25日(日)はれ あの日の宴

今週のお題「寿司」

ご無沙汰である.今年は夏休みが来たので*1,夏の友を稼働させたいと思う.できる限りやります.


夏休みが始まったということは,三者懇談が終わったということである.一昨年であれば,終業の日に納涼会があるのだった.それが叶わないので,職員室で「お,(宴会会場に行く)バスもう来てるんじゃないの?」とかいう冗談を皆で飛ばしていた.僕は「飲み会に行くために三者懇談頑張ってる節もあるわけじゃないですか!」と半ば叫んだ.間違いねぇと皆さんの賛同を得た.職員が一体となった瞬間である(そんなに起きないことである).

最後の宴はいつだったか.日付を告げると角が立つので言わないが,2年前の年度の終わりが近い頃である.俺らはこのまま3年生に持ち上がるんだろうか,と戦々兢々としていた頃だ.結果そのまま持ち上がったわけであるが,その頃には職員配置は内々に決まっていたのかもしれない.だからか,超極秘で会を催す運びとなった.

あの頃といえば,最後まで僕は学校に馴染みきっていなかったなあとひたすらに思う.その日,大先輩にたまたまであるが車に乗せてもらった.ぎこちない会話しかできなかった.人間関係を作ることが下手だ,自分よ.しかし,帰りの電車で隣のクラスの担任と,酔いの力を借りてちょっと腹を割った話が初めてできたことを覚えている.意見は対立したが,互いにそういう考えもあるよねと言い合った.何の話かは忘れた.

「握らない寿司」は一般に高級店という感じであるが,職員行きつけの店がある.出前でも何度も世話になっている.少し埃のにおいと年季の入った柱のある田舎の座敷に,学年会の正担任6人が集った.会ではビールを学年主任自ら注いで頂いた.有名な武将も同じことをやったらしく,学年主任はそれがやりたかったらしい.いかにも彼らしい趣だと思った.今年その先生は自分の隣の席であるが,昨年度,すなわち持ち上がった後まで割といけ好かない部分があったが,今年は何故か打ち解けている.苦難を乗り越えたからだろうか.心境の変化は不思議である.

その寿司屋ではいろいろ出てきた.寿司ももちろんだが,鍋に小料理に,酒を飲まなければいけないのに腹一杯に旨い料理を出してくれるからいいものである.こんなに頂いてよいのか,破格のコースである.それも田舎の町の小さな店だからこそできることなのであろう.おかげで寿司の印象が薄い.他に覚えているのは,親戚の集まりのようでもあり,大学のサークルの飲み会のようでもあり*2,慎ましやかなれど充実した時間だった.人生の中で酒を飲んだ回数はそれほど多くないと自負しているが,この夜は指折りのいい酒だった.

時期を考えれば2次会はできない.1次会で腹いっぱい,程よい酩酊,気分もよくお開きとなった.僕は先に書いたように,電車に乗るために駅に向かった.そのとき,多分そのとき,「これが最後の飲み会かもしれない」と思った.口にしたかどうかは曖昧である.2年余り経った今,本当にそうなっている.あの日以来,日に日に状況が悪くなっていって,まるで映画の中の登場人物の一人のような,変な非日常感を味わっていた.社会がどんどんおかしな方向に傾いていき,皆が苦しむ中でも,その寿司屋はまだ営業している.田舎でも店を畳んだという知らせはいくつも入ってきた.僕は恩返ししなければいけない.早くその店に行きたい.今はあの日の宴が遠く遠くで輝いていて,ただ懐かしい.

*1:去年は授業数の確保とかいう名目でお盆休みしか与えられなかったのだ.気が狂っている.

*2:僕はサークルに入らず,ついでに友達にも乏しかったので想像上のものである.ぴえん