夏の友

宿題

ねがいごと

小さい頃、七夕のお願い事なりクリスマスプレゼントなり、はたまたスーパーで1個だけ買ってもらえるお菓子選びには本気で悩んだものです。
いや、今もそりゃ迷うことは迷いますけどね。
どのチョコが口どけがいいとか、期間限定がどうとかそこらへんでいつも右往左往しています。
天から降ってくるプレゼントには全神経を使ってチョイスを図ったものです。
でも、今真剣に考えようとするとそうもいかないことに気が付きます。
昔の損得勘定と今の損得勘定を比べると微妙に変質してきています。
昔は「○○と△△のどちらを選ぶ方が得かな?」だったわけですが、
今は「○○にも得する面と損する面あって、△△にも同じように2つの側面があって、それを比較すると……」そんなふうに複雑になっているわけです。
そんなことばっかり考えているとお願い事もそりゃ減っていって、今はそんなに持ち合わせている在庫も少ないです。
大なり小なり集めて5つあるかないか。
そりゃお金があったら買いたいもの行きたい場所たくさんあるわけですけどそんなのは些末な話。
ましてや世界平和とか人類の幸福とかそんな大それたものなんて考えるだけ無駄だし。
最近知ったのは"自分本位"なお願い事です。
自分勝手になるのは紙一重、他人から見れば違いなんてないのでしょう。
でもそれを外にアピールしようと思ったのは一つの成長であって、迷惑被る人がいなければまあいっかみたいに思えるようになったのも最近のこと。
この人生が自分以外の人のためになれば良いとばかり思っていたのに疑問を持ちはじめたのも最近のこと。
気が付けば自分の夢なんてどこかに置いていってしまいました。
苦しくさえなければ今死んでも別に後悔はありません。
化けて出ないうちに死ぬのも一興かな。
それにしたって、自分本位な願いがいっこでもあれば、そうもいかないわけです。
現世に引き留める錘に足枷に、そんなものが願いごと。
5歳の自分が追った流れ星と、21の自分が眺めた流れ星にはどうやらまったく違うものが入っているようです。
今年は、いや別にありがたみが分かるうちでいいですけど、自分が1つでも感じられるようになればいいなと思う27時です。
今更5歳の頃の自分に戻りたいなんて気持ち悪いことは言いたくありませんが、少しでも取り戻したい感じはあります。
あのときの方がずっと世界がみずみずしかった。
だからこそ取り戻したいのだけど、それは叶うのかなあ。
願い事が叶うことを叶えてほしいなんていうお願いです。
水晶体もだいぶくすんでしまったようです。悲しきかな。
10時から卒研あるのに大丈夫かね俺。
でも、本当に大切なお願い事はしばらくの間心のうちに大切にしまっておこうと思います。
うまく殻を破ってくれればいいのだけど。
いつか天の川に届きますように。