夏の友

宿題

最も意味の深い

前の記事の投稿の翌日,3月25日に大学の卒業式を迎えました.
それまでずっと地元の塾のバイトにかかりきり(主に高校受験対策)だったので全然名古屋の光景を見られておらず,
もちろん大学の様子も全く新鮮な印象を受ける程度にご無沙汰なのでした.
久しぶりにスーツに革靴で登校して,また靴ずれができてアレな思いをするのかなあと電車内で考えていました.
靴ずれの痛みに耐えながら入学式から帰ってきたのがもう4年も昔の話です.
それ以来,幸運なことに容姿もあまり変わっておらず,強いて言えばひげが濃くなったことぐらいでしょうか.
中央線から名城線に乗り継いで,名古屋大学駅2番出口から出てくる生活もこれまでかと思うと,
やること成すこと全てが感慨深く,時間の流れが若干違って感じられました.
でも,そのときはあまり実感らしき実感は伴っていなかったように,今振り返れば思います.

「卒業式なんぞたかが儀式」とTwitterで豪語しておりましたが,実際のところまさにそんな感じでした.
式において重要だったのは,そこで別学科の友達に会えたことです.
最前列で何をやっているんだか,と言った具合の写真をいくつか撮ってもらい,雑に近況を交換しました.
式の中で理学部の代表や挨拶担当の総代が数理学科の同級生だったことが嬉しかったです.
ま,式自体はそれぐらい.
本当に価値があったのは,大学生活で親しくさせてもらった方々としっかり話ができたことです.
研究室の先生からは君ならやっていけると背中を押してもらったり,研究室の同僚(?)ともエール交換のようなことができたり.
機会がなくてあまり言葉を交わせていなかった同級生とも,むしろこれからも宜しくと言ってもらえました.
一番仲良くしてもらった友達たちとはスーツ姿で人狼したり,大量のうまい棒を分けてもらったり,
酒も飲まずにサイゼリヤで数学用語を並べて云々やってたり,相変わらずと言った感じで過ごしました.
傍から見たらどう思われたんだろう.
でもいいんです.彼らと過ごした時間っていうのは大体こんな感じで,傍から理解されなくてもマニアックに我らを通すのが正義です.
時々,語彙と発想が大学生レベルであるだけで小学生とそれほど変わらない,言葉の関連させ方だと思うこともありましたが,楽しいので問題はありません.
胸を張って言えます.一点のくもりもなく楽しい一日でした.

でも,日が傾くにつれて,一人一人と別の方向に行く人達を見送ると,格別に大きい穴が空いたような気すらしました.
祝賀会が終わった数理棟を出ると,鮮やかなオレンジ色の夕日が見えました.
2年生の後期,線型代数の講義が終わった後に「この後教職の講義か……」と思いつつ,肌寒い風を受けていたなあとぼんやり思い出しました.
数理棟から駅や教養棟に向かおうとするとちょうど西に向かって歩くことになって,同じように帰る人の影が綺麗に映えるのです.
卒業式を終えて本山に向かおうとするときも同じように卒業生の背中が美しくて,胸が締め付けられました.
院に進学する人も多いとはいえども全員ではないし,ましてや僕もそのとき地元を離れることが決定していました.
いつもの当たり前の光景が今日で終わりだということを痛いほど感じたのでした.
もう大学生ではない,ましてやもう学生ではいられないということを深く自覚させられました.
その意味で,大学生を終えるということはこれまでの人生で最も重要な区切れでした.
夜,卒業証書と教員免許を前にして,自室でひとしきり涙を流しました.
その時の気持ちは具体的によくわかりませんでしたが,たぶん全部なのでしょう.
やるべきことを終えて,これまで僕をつないでいた太い綱がことごとく切れました.