夏の友

宿題

順応

 先日,温泉に行って露天風呂に浸ろうと外への戸を開けたところ,立ちくらみと普段の目の疲れが混じって,視界が真っ白になりました.
 普段のツケ,というか久々に大物の口内炎ができて歯を食いしばっていたことが元で,頭の先っぽから肩のあたりまで緊張しまくっていたのでした.それを解消すべく温泉に行った,というのもあります.温泉に浸かろうとする前に逆襲されるとは思わず,危ないところでした.

 湯船の縁に身体を任せて夜空を眺めていると,徐々に視界が回復してきます.白い塊がすうっと溶けていくように退いていきました.ああこれが暗順応なんだな,生物の時間に習ったぞ,と誰に言うでもなく胸を張っていました.あほくさ.
 気がついたら年の瀬です.そうか俺も23になるのかと思うと果てしない気がしました.つらいことが多く,恥ずべきことも振り返りたくないことも多い約8ヶ月でした.でも,いつの間にやら8ヶ月も経っていました.不思議なものです.湯けむりの向こうにある星空を眺めていると,壮大な道を振り返るような気もしていましたが,そんなに大したことはありません.自分でそうだといいなと思っていただけです.

   何がそうさせたか,心当たりは無数にあるようにも思いつかないようにも感じます.すなわち,どうしてここまで辿りつけたか,ということ.同僚や先輩に寄っかかって過ごしていては,おそらくこうはならなかったはずです.自分自身で地面を蹴ってきた実感はしっかり足に残っています.

 4月以来,帰郷すると「眼が変わったね」と言われたことが何度かあります.初めてそう言われたときはまだ仕事が軌道に乗っておらず,自分の伝えたいことと生徒のキャパシティが食い違っていることに対応できず,苦しんでいた時期でした.だから何が変わったんだと,自覚もないのに表面に現れているこれは何なんだと思ったことをはっきり覚えています.
 順応.言い方を変えれば「染まる」という言い方もできそうです.彼のカラーだとか,朱に交われば赤くなるとか,そういった言葉と親和性が高い感じがします.
 そのときに言われた「変わったね」の意味するところは,「前に会ったときと人間の性質が違ってしまったね」ということではなく,「なにか(新しい物)を吸収したようだね」と置き換えても良いような気がしています.もちろん,そう言ってくれた人がそこまで見抜いていたかどうかは別として.
 障子紙が絵の具を吸い上げるように,元の形こそ保っているものの別のものを取り入れたというのが,僕のここまでの変容なのかもしれません.8ヶ月のうちにどれだけ多くの色を取り込んだことでしょう.様々なハードルがありましたが,うまく乗り切ったと思えるのはここ1ヶ月程度のことです.授業が生徒に響くようになった,指導の声が生徒に響くようになった,同僚の先生から「先生」と呼ばれるようになった,……誇れることが増えたのもここ1ヶ月のことです.

 失敗や後悔と言った見苦しいものは僕の下地にあります.成功の実感がいくらあったとしても,重ね塗った上からでも判るほどにくっきりとあるはずです.
 その上で,「眼が変わったね」と言ってくれたということは,何よりも嬉しかったことでした.
 確実に自分の中の何かが変容を来している.今までの自分とはまた違う人間になり始めている.そういった,社会人としての順応を見抜いてくれたのでした.

 気が付いたら15分ぐらい露天風呂に浸っていたでしょうか.入れ替わり立ち代わり往来する他のお客さんを横目に,独り肩周りの湯治をしていました.
 すっかり暗闇に順応したところで,いい加減熱くなったので屋内に戻りました.