夏の友

宿題

10月23日(火)はれ《ニアリー》

ちょうど一月前,同級生の顔を見に行った.折しもその日は祭りで,かのドラマの影響もあって大盛況だった.一言で祭りを楽しむ,と言ってしまうと当たり前に聞こえるが,それまで自分は祭りを楽しんだことはなかった.小学生の頃から引っ込み思案で,自分が何をタネに友だちと遊んだかは覚えていない.いや覚えていないというか,魅力的ではない些末なことか,ゲームをやらせてくれとせびるくらいしかなかった.したがって祭りなどのイベントを楽しむだけの人脈もなく,屋台を眺めては通り過ぎるだけの人間だった.ちょうど僕を誘ってくれた主催の友達あたりはそこらへんの関係づくりが上手くて,彼の背中を眺めていたような記憶が多い.

朝,下宿先から車で地元まで向かった.主催の友達を拾い,先日子どもが生まれたという旧知の友達のアパートに向かった.奥さんとは初対面だったが,笑顔で迎え入れてもらった.とはいえ高校のつながりがあり,懐かしい話と近況報告に花が咲いた.約2ヶ月のご長男は主催の友には笑顔を向けていたが,僕には終ぞ笑いかけてくれなかった.人間性を見透かされているな.陰ながら幸せな噂に「このリア充どもが!!!!!!!!」と妬んでいた過去があるだけに,その残滓を敏感にキャッチされていたと内心苦笑いした.このおっさんはパパママの敵だぞ,と.

初め,顔を見せに行くのはとても不安だった.というのも,そういう幸せな姿を見て自分は妬みや嫌みを吐き出してしまうのではないかと思っていたからだ.率直に言えば,それら負の感情は遣り場無い思いをどうしようか迷った挙げ句の不本意なものである.「好きな子に意地悪する小学生」みたいな.大学を出てもそういう気持ちはあって,大人になりきれていなかった.もっと言えば,この日まで他人の幸せを率直に喜べるだけの気持ちはほとんど持ち合わせていなかったと思う.余談,高校時代はその負の感情をひねって表明することが「シニカルでかっこいい」と思っていた節があって,殊に扱いづらい人間と思われていたことだろう.

同級生三人で昼飯をとったあと,自分のいた取り巻きで人気者の友達の顔を見に行った.高校時代の写真を,画像処理し間違えて横に引き伸ばしてしまった感じに変わっていた.失礼ながら,それはそれでネタとして面白かった.一方,それがどこか嘘のような悪い冗談のような気がずっとあって,胃がもたれるような気持ち悪さがあった.スーパーのフードコートでひとしきりまた懐かしい話と近況報告をし,高校時代「人たらし」と言われていた彼を迎えた.彼の周りには常に誰か,どんなタイプの人間もいて,誰からも愛されていた.かと言って侮られることも憎まれることもなく,憧れの人物でもあった.職場からの応援要請で祭りの役が充てられていて,それほど長いこと話すことはできなかったが,まったく楽しかった.

日が落ちて明かりが灯り始めてから屋台を巡っていたところ,なんと示し合わせてもいなかったのに中学時代の同級生にばったり遭った.一人はそれこそ赤ちゃんを連れて,夫婦で来ていた.もう一人はビールを片手に陽気な顔をしていた.前段に述べたようなひねくれたこの僕の顔も覚えていてくれて,再会を喜んでもらえた.ごめん,僕にはずっと一人別の名前が浮かんでいましたごめんなさい.

そんなわけで,一日中幸せで幸せで仕方なかった.祭りを心から楽しんだ日だった.

     *    *    *

Twitterには「走馬灯のようだ」と書き残した.大好きな友人が元気にやっている姿を次々に間近に見て,率直に出てきた言葉である.

実家にも寄らず,その日のうちに帰ってアパートで一人酒を煽った.例のごとく,僕は一人酒に弱い.あっという間にくらくらして眠くなる.しかし不思議とその日は目が冴えていた.人と別れたあとで,心にぽっかり穴が空いた気持ちに頭まで浸かっていた.そう,まさしく不思議だったのだ.友達に腹の中を全部見せて,僻みや妬みゼロで接することができた自分が.今までそういう,ある意味鎧やトゲを纏っていないと不安で仕方なかった.弱かったのだ.

社会人になってから,というかここ二年間かな.自分が弱い存在であることを嫌というほど味わった.プライドも散々打ち砕いてもらった.体調が悪くなったり,今でいうと寝ている間に異様に肩が緊張して三週間近く変な痛みがあったりする.しかしその効用は割と大きかったようで,人との接し方が変わった.具体的に書くと読者を身構えさせるから書かないが*1,幾分か接しやすい人間になったと思う.弱い自分を素直に認めることで強くなったのかなあと,ぼんやり思う.

もうひとつ.友人に次々に会って,群像劇を映画館で見ているような気持ちになっていたなあと気づいた.生き方はさまざま,人間関係のつくりかたも,何が一番であるかも,違う.そんな大切な友達たちだ.自分自身,彼らと関わることで楽しい.その分,尚の事,彼らの邪魔はしたくない.彼らが主役ならば,自分は彼らが引き立つような脇役でありたい.助演男優賞をとりたい.具体的にどうこういう気持ちが一月経っても未だまとまっていないものの,そんなぼんやりとした気持ちを巡らせている.

*1:十分書いているような気もする.というか,このブログでは読者は意識しないつもりだったがやっぱり意識してしまう.