夏の友

宿題

9月15日(日)はれ《夏は終わった》

約半年間の沈黙が云々を書くかどうか悩んだが,まあぼちぼち落ち着いてきたということで一つお願いします.


早い話が,転勤してからのバタバタで息をつく間も無くここまでやってきた.1つ仕事が終わる頃に2つ仕事が溜まっているような現状である.同じ県立の学校とは思えない.

授業のペースは夏休み明けにようやく掴んだ印象だ.半年前まで勤めていた実業高校では,授業開始前の休み時間にペラっと教科書をめくればだいたい授業はできていた.これはサボっていたわけではなく,実際問題準備に時間を掛ける必要がなかったのだ.計算技法を知るという授業だとこれで十分だった.現在は違う.仕組みを理解しないと考え方がつながらないような応用までカバーしなければならないし.週4時間のクラスと週5時間のクラスを担当しているせいで,授業進度が比べ物にならない.生徒の理解度に応じて説明の仕方をひねったり端折ったり,ああだこうだしているうちに自分が消化不良でダメな授業ばかりしていた.前任校のおっさんから「論文を出さない人間が〇〇高に行ったら生徒が可哀想だ」と送別会のときに言われて腹を立てたのも半年前の話だが,そのレベルにすらたどり着いていなかったのだった.残念無念.

夏休みに教育実践例を知るセミナーに参加して授業研究をちゃんとやろうと思い直し,夏休み明けのここ2週間程度は割とうまくいっている.つくづく理解したのは,三角関数の内容を人に伝えられるだけの知識が,教員歴4年,うち3年連続で教えていたのにちっとも身についていなかったということだ.生徒はだいたい,グラフの辺りでさじを投げ始める.今年もそれをやってしまった.しかしつい一昨日のことだが,文系クラスの生徒が y=sin 2x のグラフがよく分からないとテスト前に質問に来た*1.そのとき,授業ではちょっと難しいかなぁと思っていた説明の仕方で話してみたところ,彼の理解にダイレクトにつながった.正弦波のグラフの周期が変わることはなかなか理解しづらいが,うまく説明できた.そこで彼もすとんと腑に落ちていい顔して帰っていったのだが,内心自分も腑に落ちていい顔をしていたと思う.伝えることが最大の学習であるとはよく言ったものだ.一番得をしたのは私だった.


実家ぐらしになって楽になるかと思いきや,いろいろなノイズが増えた.食事のメニューは考えなくてよい.洗濯アイロンもしてもらえる.が,それ以上に窮屈だ.4年間実家を離れて自分自身のペースを作ってきたが,共同生活には「共同生活のペース」がある.家族のしがらみもある.それがストレスだ.また一人暮らしをしたいと思ったり,何だったら教職やめてどっか行こうと思ったり,日々踏ん切りのつかないことばかり考えている.朝食なんかそうで,親のペースに合わせていると自分が食べるのが遅いせいで,割と出勤が遅くなる.それがたまらなく嫌なのだ.じゃあ自分で作れよと言われたらそうなのだが,それはそれで母親が寂しい顔をするのでそうもいかなかったりして,何ともならない昨今である.

共同生活が嫌だと言っている以上,結婚は遠い世界の話である.そう言えば,去年の今頃は旧知の友たちと真の意味で親交を深めあったな.あれから1年,結婚している友も更に増え,赤ん坊は1歳2歳と成長のさなかである.あと,今の高校の昨年度卒業生の中に,大学生時代の塾の教え子がいたということも知った.皆歩きだしているのだ.心に来るものが大きい.


夏は終わったけれども相変わらず夏の友は続けます.

*1:進学率高めの普通科高校だからといって質問に来る生徒が多いと思ってはいけない.たいてい放置してテストで何もできずに終わる.なので彼は(相対的に)偉い.