夏の友

宿題

7月19日(日)暑い晴れ 重たい心

夏が来てしまったなぁ,という晴れの日であった.ぼくは特に何をすることもない休日を過ごしていた.

今週はかなり消耗した期間だった.人に迷惑をかけたのをリカバーしようとして別のところで迷惑をかけ,方方に平謝りしながら時間を費やしていった.いや,発端はもっと前にあったんだけどね.挙げ句,身内が危ないために業務を代わってもらったりなどして余計に心苦しさに苛まれた.その身内もぼく自身折り合いが悪いので,なんでこいつなんかに……と思うも,同じ血が通っている親族であるという鎖に繋がれたような気持ちとも衝突して,自己嫌悪感ばかりだった.どうしてこうもだめなのか.千年前なら方違えでもすべきなんだろう.

それから.世の中,高校生をはじめとして子どもたちに過剰な負担を強いていることを強く感じた.ということは学校で彼らを支える立場の我々も同じであるわけで.どうしてこうも世間様に阿っていかなければならないのか,甚だ――いや何も言うまい.遺憾の意でも表しておくことにする.教員である我々の時間を確保せよ,つまり働き方改革は断行されて,教員である個人個人を考えたふりをしようとしているが,子どもたちの時間はどうなんだろう.あれやれこれやれすべて両立せよと言われているが,それは子どもたちのことを考えてのことなんだろうか.違うだろ.子どもたちを考えるふりをすることで自分の利益につなげようとしているだけだ.もっとやりたいことやらせてやれよと思う.ほんと.ついでに俺らの休日も確保してくれ.

我々大人がしんどいと思っていながら子どもたちに向き合えば,そりゃ子どもたちもしんどいでしょう.しんどさの解消のために無理に何かを歪ませるか,多大なリソースを使って歪みを解消させるか,大切だと思う.

三浦春馬自死を選んだことについて.

イケメンなのに辛かったんだと吐く人間がちらほらいて,暗澹たる気持ちになった.彼は彼で舞台とかに挑むような,あえて苦労を選びながら自らを高めていったとぼくは考えている.自分で辛い道(決してネガティブな意味ではない)を選択していった末,多大の人気と信頼を勝ち得ていったのだと思っている.イケメンではなくても楽な道を選ぶことはできる.苦しいことに全部背を向けることはできる.それにあえて挑む姿勢には頭が下がる思いだ.

「イケメンなのに〜」と口走る人間の気持ちはわかる.イケメンだったらもっと違う運命をたどっていたのだろうと考えたことはぼくにもある.だからといって安直すぎの思考停止だろう.ある意味妬みのような負の感情を帰らぬ人に投げつける人間の気が知れない.吐き気がする.有る事無い事で世の中をかき乱す有象無象とマスコミは溶けてなくなればいい.それくらい悲しい.思い入れはそこまで深いわけではないが,心にずっしりとのしかかる出来事だった.

どうか安らかに.