夏の友

宿題

5月12日(火)はれ ディスタンス

日曜までサボっていたトレーニングは昨日今日と再継続を果たした。あとは明日やれるかどうかだな。今日は背中と肩。チューブがあるもののあまりうまく使えていない。ダンベルもほしい(中途半端に一個しかない、大学時代に日和った結果である)。一つでも多くできる種目を増やしたい、覚えたい。

この春から入ってきた後輩がまた増えて、どうやら自分が二十代最年長になってしまったようである。早すぎる。あと学年を一周したら学年主任が見えてくるね、と言われる始末である。早すぎるンゴ。

そして、やたらと好意を向けてくる人がいる。僕は人付き合いが苦手である人である。彼のことが僕はどうも苦手で、やんわりと距離をとる仕草をしているものの、その距離をいとも簡単に詰めてくる。ソーシャルディスタンスと対比してサイコロジカルディスタンスとでも言うのか、僕は心理的な間合いを許すまでの時間がとても長い。なので、無垢なその、グイグイ来る感じが凄く嫌なのだ。とは言えどそれを直接伝えるのもどうなんだ? とも迷うし、この状況が嫌なのだ。彼との付き合いが金曜の夜に今までのライフルーティンをぶち壊したので、もう言うまい。

世の中全員の大人が付き合いの良い人間ではないし、愛想の良い人間でもない。この事実を自分に当てはめようとして、八方美人の自分がそれはやめておこうとささやいて、結局何事にも迷う人間になっている。ああ、嫌だ。

5月11日(月)はれ 思い出のまぜそば

昨日は最小限の降車で以てドライブしてきた。その結果疲れて半日ほど寝る、という。悲しみ。

前任地の街で行きつけだったラーメン屋に行った。時短営業とドア開けっ放しで昼間もやっていた。客は一人、昼休憩を取るスタッフが一人。僕が好きなのは台湾まぜそばだ。慣れた手付きで食券を買おうとしたが、流石に2年ほどご無沙汰だと指が中を舞った。

店員に「何をご注文で?」と後ろから声をかけられた。滑舌がお世辞にも良くなくて、僕は曖昧に返した。目を戻すと台湾まぜそばのボタンがあって、ありましたぁなどと言いながら食券を渡す。店員は見たことのないおっちゃんだった。その流れでポイントカードの説明を受けるが、月イチも今後来ないだろう、受け取りつつも流した。断ることも、以前はよく来ていたことを告げるのも、好意をシャットアウトする気力が無くて止めた。

以前仕事終わりに食べに来ていたときは、若いにーちゃんといかにもバイトしに来ました、というギャルが店を回していた。てめえらは雑談しないと仕事できねえのかと不愉快に思うことも何度かあった。昨日はその鬱陶しさも何となく懐かしかった。店員のおっちゃんは、後から来たおしゃべりな客に誇らしげにお仕事トークをしていた。店内に流れる音楽は誰か分からない女性がカバーした80年台曲集だと思う。そのうちに台湾まぜそばが来た。

端的に言うと、薄ら寒い味だった。こんなのだったか? いいや。麺に味気がない。タレは旨味があるものの濃くない。舌の上の思い出は美化されているのか。物悲しかった。ゆっくりすすっているうちに、店員のおっちゃんが「追い飯、良かったです?」とニコニコしながら聞いてくる。ちょうどいいので、とやんわり僕も笑った。

店を出てから、コンビニでホットコーヒーを飲んだ。キリマンジャロと言われてもピンとこず、目を覚ますべしと胃に送った。ついでに買ったたまご蒸しパンが穏やかに甘くて、ほっとした。

さっきのおっちゃんは客に、「来月の企画も、その次の企画も決まっとるんでね、やるべきことやるだけっすよ」と笑っていた。雑居ビルの一角で淡々と予定が流れていくのだろう。旨味が薄いラーメンがどうも物悲しくて、何ともやり切れない日曜日だった。

5月6日(水)振替休日 激しい雨ののち夕焼け

今日は何かをやろうとして何もやらずに終わった。いやまだ終わっていない。あと3時間弱を有効に使えるかどうかでそれが嘘になる。有意義にしたい(願望)。

さて、体重計問題である。

折角筋トレをやっているのなら、体重管理もすべきだろうと思って引っ張り出してきた。同じようなことを思ったのは一人暮らし時代幾度もあった。過去形ということは定着しなかったのはお察しのとおりである。今日はアプリを入れて体重も入力した。

念の為、僕のトレーニングの第一目的は、体型を人に見せてもそれほど恥ずかしくないものにすることである。第二には身体を動かす楽しさをわずかなりとも感じることである。第二の方は詳しくは後々書くかも。第一の方、これは身体を絞るのとイコールではない。脂肪が乗っていても見せられる身体はある。これは逃げではなく、純粋なる目標である。手を伸ばせる範囲の目標。この期間中を有効に使う手立てのつもりだ。一応の宣言のつもり。

昨日は70.8kgで、今日は67.8kgだった。明日、どう変化するかが大事。

5月2日(土)気温30度のはれ 被覆空間と在りし日の思い出

珍しく酔っ払っている.

例の膵臓がNHKでやっていたらしい.原作を読んだ上で書くが,アレはどうも自分の肌に合わない.展開の仕方がどうとか,いろいろ難癖つけてみたくなってしまうが,根本はそれではない.根本は同族嫌悪なのだ.中高といろいろをこじらせて書いていた小説もどきを,自分で読んでいるのと同じ感覚になってしまう.感動を仕掛けるポイントが,自分の妄想と重なる部分が本当に多いのだ.ひどいときは何かのサントラをかけながら執筆して,自分の作品のドラマ化すら妄想していたのも思い出す.

……とは言いつつも,膵臓は出版されてメディアミックスもされている.自分の作品はHDのどこかに眠っている.差は歴然である.所詮,大志を抱いただけの高校生などその程度である.今でこそ未練を断ち切って,エッセイのようなものを綴る方に転向したわけだが,大学時代はまだ引きずっていたかな.目が覚めたのは社会人になってから.そこらへんの話は過去に書いたと思う.いい感じに美化されていると思うので,矛盾が生じそう.深く書くのは(今は)止めておく.

ところで,人生は螺旋階段のように,高さは違えど同じ部分に影ができるようにぐるぐる回っていくものだと思う*1.数学的に言えば複素対数関数のRiemann面*2のようなものである.高さが見える景色が違うから別の体験をしているようで,影を追ってみると,考え方も趣味嗜好もそんなに変わらない気がする.何が言いたいかというと,結局小説作品を見て自分に重ねようとした自分がいることに気づいたわけである.なんかもっと豊かな例えとか引用とかができたらかっこよいなと思う.でも,こう思うこと自体,高校生のときに持っていた憧れとそれほど変わっていない.だめだこりゃ,である.

生活の中の自粛を考えると,今の高校生はどれほど鬱憤や不安を抱えているのだろうと察するに余りある.ただでさえいろいろな夢を抱いている時期である.本当だったら……と続ける言葉は枚挙に暇がない.今やれることは我慢と勉強,と言い続ける僕にも流石に罪悪感が浮かんでくる.自分が高校2年生のとき,2009年も実は新型感染症が流行った.新型インフルエンザである.薄ぼんやりと非常事態だったことを覚えている.僕はクラスで2番目に罹った.でも,年が明けたら大変だなで終わっていた.翌年の文化祭でこれまた大変こじらせた作品を部誌に寄稿して,受験勉強に入った.そんな程度だった.「今この瞬間」を捉えるのに過去を持ち出し続けるのも如何かと思うが,今夜はそういうことばかり思い出すのであった.

今日の筋トレ:これって毎日日記書かないと記録にならないよね(自明).背中25分程度.しっかり「入れる」感覚がわかったのは2セット目だったので,1セット目からできるようになりたい.昨日やった胸の筋肉痛(未満の違和感)は夜になったら取れてきた.明日はウェイトを少し.

*1:この表現ができるようになったのは偏に被覆空間を勉強したからだと思う.ありがとう被覆空間.

*2:わからなかったらwikipediaの図を見られたい.

4月28日(火)はれ 酸化皮膜とサラダ油の重合が大事らしい

眠っていた中華鍋を磨き上げる機運が高まる昨今である。

仕事はそんなに進んでいないが、仕事上の相方と長電話して打ち合わせた。輪番出勤制になってから一度も顔が合わせられず不安だったが、声を聞けただけでなんとなく安心感がある。情報交換やらやって30分。十分だ。当面のよい緊張感を身に入れることができた。

合間合間(本当に?)に自分の勉強をした。上極限/下極限集合と無限共通部分/和集合の関係。論理記号が万能とは言えぬが、うまく整理してイメージしやすいように整理した。和集合から上極限集合を抜くとどうなるかを考えてみると、それ単体で考えるよりも分かりやすくなる。上極限/下極限集合が一致しないのは振動する例を挙げる。これは数列の話とリンクするから実感がわく。今日の成果だ。

今日のトレ:胸と腹筋。胸はパンプアップした姿を見ると達成感があっていいよね。腹筋はクランチが続かないのが相当悔しいので締めにやることにする。今日は腹斜筋もやった。

4月27日(月)はれ テイクアウト

在宅勤務である。リモート授業のスライドをセコセコ作っている。

今作っているのは文系数学Bの最後の方である。実際使うかどうかは別として、ここをしっかり押さえておきたいという気持ちがある。プロとしてのプライドというやつだ。かっこよく言えば。

帰納法は難しいと評判の概念。n から n+1 を示す流れが分かりづらい。対面授業でも当然丁寧に準備するが、スライドではより丁寧に記述する。「結局のところ自分は何をすれば良いのか」が分かれば、それほど手が出せないものでもないはず。動画の形にしたときに、頭の中がきちんと整理できていれば十分だと信じる。

昼はテイクアウトのまぜそばにした。美味かった。2ヶ月ほどぶりか。家でのんびり食べられるのもいい。夜ならここに唐揚げと酒だなあ、この情勢が落ち着いてもテイクアウトは残してほしいなあ。いやそんなに酒飲まないけどね。

思えば、授業の動画化もテイクアウトの一種だろうか。自分のチョイスで自分のペースで、教材に向き合えるのは同じである気がする。なら、もし需要があればうまく活用して、今後の経営に結びつけていきたい。どちらにも一長一短あるから、長所をつないでいきたいものだ。

今日のトレ: 腹筋運動ができぬ…追い込まれるのが早すぎて動画についていけぬ…

4月26日(日)はれ 遣る瀬ない

インターハイについては,以下のツイートとこの記事で一旦口を噤もうと思う.

しがらみのない個人としては,当たり前だ,という感覚.命よりもスポーツが大事なのか,と思うところである.

今僕は部顧問である.インターハイを最後にしようと意気込んでいた子どもたちとやってきた.彼らは一生懸命である.このニュースが届くまで,自宅で何かしらをやってきたと思う.彼らが最後思い切り笑うなり泣くなりして引退してほしいと思っていた.今,ここまでの気持ちをどうしてくれよう.高体連の判断はお世辞にも早いとは言えないが,可能性を伺う気持ちは多少,分かるつもりだ.何ともならぬ.

冷たい言い方をすると,部活動は特別活動であって教育課程上必須の活動ではない.労働者の立場から言えば,それなのに部顧問の仕事はボランティアどころか赤字,頑張れば頑張るほどブラック業務.やりがい搾取もいいところだ.挙句の果てに責任がつきまとう.昨今,18時に退勤できるのはこの仕事がないことも一因である.

にもかかわらず彼らとやっていきたいと思うのはただ,子どもたちがひたむきに頑張っているからである.それ以上のことはない.明日から考えるべきことは,この状況が好転したあと,いかに彼らに良い線引きを与えるかである.

この記事が恩着せがましいとか,恰好つけのためのパフォーマンスだと思われるのであれば,そう思っていただいて構わない.ただし,見返りもなにもないブログに何故,整理しきれていない気持ちを生のまま書くのか,多少は慮っていただきたい.